Son Voyage

あれもこれも、と手をのばしてクビ突っ込んで、なんだか最近書くこと増えてきたし、こっちも始めました。よもやま話の散文ばかりで見てくださる方がいたら恐縮するくらい。。。 2006年秋、旅先で書き始めたのを記念して、Son Voyage(Her Trip)~♪

2007/03/29

Blooming ~♪

才能が花開く

まさに彼という人間の才能が花開く様子を、ここしばらく目撃していたらしい。

2002 Salt Lake Cityの直後にWorldは長野で開催された。
強く、そして当時圧倒的に人気を独占していたYを観に出かけた長野の地で彼と初めて出会った。

15歳でジュニアからシニアに上がったばかりの彼は、黄色い手袋をしてとても表現豊かに彼の世界を見せていた。
名前も知らない小さな選手に魅かれたのは、LIVEだったからだけではないと思う。

解説者には「スピンだけが上手い、ジャンプの飛べない選手」と評されていた。
「彼のスピンに騙される」と、旧採点方式の当時は不思議な子扱いだった。

遠い国のスピン王子の情報はさほど得る機会もなく、次に会えたのは「ショコラ」を踊る姿だった。
17歳、まだまだ少年のはずが、スピンだけでなくステップでも魅せるほどに成長していた。
「ショコラ」は瞬く間に彼の代表作になった。

世界の上位に名を連ねる頃、彼は脚を痛めて手術も受けた。
ライバルの予期せぬ棄権で、モスクワでは突然に世界タイトルを手にした。
誰が見ても、もう彼の照準はTorinoと次のWorldになった。

彼の個性的な魅力は、2005-2006シーズンの衣装で大きくアピールされるところとなった。
「四季」の世界に駆ける馬を見た彼は、さらにシマウマに進化させ青いオウムの翼を与えた。
Negativeな反応が多かったシーズン当初のシマウマは、Torinoを機に一転、名作の評価を得ることとなった。
彼はWorldでも負けなかった。

2006-2007シーズンの幕開け、シマウマは駆けるほどの元気がなくなっていた。
自分の生活から遠く離れて過ごした夏の間に、それまでとはきっと違うことばかり考えていたはず。
そして始めた新たな自分探しの旅。出発は奇しくも夏の日本だったという。

それからは、他に何も寄せ付けないほど、彼はSpanish Danceに没頭していたのだろう。
現地に飛び、大地から立ちのぼる熱い魂のステップを踏み太陽を全身に浴びた。

簡単には完成しなかった。
熱にうなされた彼は家族のもとへ戻り、そして一冬ずっと自国で過ごした。

誰しも一度は諦めた復活、そのはずだった。
でも彼は出発の準備を進めていた。新しい世界へ。第2章の幕を開けるために。

長い冬が終わり、また東京に春が来た日、彼の助走は始まった。
Worldという大きな舞台での駆け出しは、まだ駆けてゆく先が定まらないかに見えた。
それも劇的な再スタートの演出に思えてくる。

翌日迎えた本当の復活の舞台に、彼は驚くほど大人の男になって立っていた。

ジャンプを降り、ステップを踏む。
技が決まっていくたびに次々と深紅の薔薇が開いては、氷の上を埋め尽くしていく。
他に何も望まない。ただ彼の世界をずっと永遠にその場で共有していたかった。

その晩リンクを埋めた薔薇は、まさに彼という人間の才能。

間違いなく、あの場で第2章が始まっていた。
振り返らずに進む未来に、彼は新しい目標を探すつもりだ。
Bon Voyage!

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